おお これは存在しない獣。

人びとは実際には知らぬまま それでもやはりこの獣を

――その歩み そのたたずまい そのうなじ、

またその静かなまなざしの光までを――愛してきた。


なるほど存在してはいなかった。だが人びとが愛したから生じたのだ、

1頭の純粋な獣が。人びとはいつも空間をあけておいた。

そしてその澄んだ 取っておかれた空間のなかで、

それは軽やかに頭をもたげ そしてほとんど


存在する必要がなかった。人びとは穀物ではなく

いつもただ存在の可能性だけでそれをはぐくんだ。

そしてその可能性がこの獣に強い力をあたえ、


それは自分のなかから額に角を作りあげたのだ。1本の角を。

ひとりの処女のところへそれは白い姿で近寄ってきた――

するとそれは銀の鏡の、そして 彼女の内部にあった。


『オルフォイスへのソネットⅣ』 R・M・リルケ 田口義弘訳

消えた幻獣たち

 ドラゴン、エルフ、フェニックス、ミノタウロスやスフィンクス、人魚、そしてユニコーン。神話や伝説、民話の中に登場する数多の幻の生き物たち。人間の空想によって実体より前に言葉が生まれ、そのイメージが恐れ敬われ、追い求められてきました。しかし、現代ではドラゴンやフェニックスは完全におとぎ話の生き物になってしまい、その魔力を失ってしまいました。ユニコーンだけが「まだどこかにいるのかも?ずっと昔はいたのかも」といった微々たる現実感を残し私たちを魅了します。

 ユニコーンの姿を夢見、探し求める人々の言葉こそが世界にユニコーンを存在させる力です。現代にユニコーンが忘れ去られて消えてしまわないように、ユニコーンをめぐる物語をたどっていきましょう。


ユニコーン伝説

 太古の昔からユニコーンにまつわる伝説はたくさん語られてきました。有名なものでは、ユニコーンの角をひたせば毒された水が浄化されるだとか、高貴な獣は汚れなき乙女にのみ捕らえることができるなど。他、多様な伝説から、人間のユニコーンへ対する畏敬が感じられます。

 「神はアダムに楽園の全ての生き物に名前をつけるよう言いました。全ての生き物がアダムの周りに集まりました。アダムが最初に名付けたのはユニコーンでした。アダムが呼んだ名前を聞いた神は、ユニコーンに手を伸ばしその額に輝く一角に手を触れました。その瞬間からユニコーンは他のけものたちより高貴な存在となったのです。」(The UNICORN by Nancy Hathaway より)

 「ノアがすべての動物を方舟に納めたとき、動物たちはノアの命にしたがった。ただ一角獣のみがしたがわなかった。彼はおのが力を恃んで言った、おれは自分で泳いでみせるぞ!四十の日と四十の夜の間雨が降り、水は鍋のなかでのように沸った。すべての山々が水に沈み、鳥たちが方舟にすがりついた。方舟が傾いたので、鳥はことごとく水に沈んだ。かの一角獣はしかし泳ぎに泳いだ。けれども鳥たちがその角の上にとまったので一角獣は沈没し、それゆえに今日一角獣はこの世に存在しない。」(種村季弘『一角獣伝説』におさめられた小ロシア民話より)


 

 

芸術の中のユニコーン

 ユニコーンはまた、文学、絵画、映画など様々な芸術のモチーフとして選ばれてきました。

 ユニコーンを扱った小説で最も素晴らしいものと言われているのがピーター・S・ビーグルの『最後のユニコーン』です。美しい恋物語でもあり、上質のファンタジーでもありますが、何よりも硬質で詩的な文体、細部からあふれる無限のイマジネーションが絶品です。

 芸術作品では冒頭の詩を書いたリルケも魅了された「貴婦人と一角獣」のタペストリーが有名です。この6枚連作タピスリーはそれぞれ≪視覚≫≪聴覚≫≪味覚≫≪嗅覚≫≪触覚≫≪欲望≫を主題にしています。トレイシー・シュヴァリエの『貴婦人と一角獣』は、そのタペストリーの製作者であるニコラ、モデルとなった女性たち、注文主、織師とさまざまな登場人物の視点から描かれるタピスリーに秘められた物語です。

 ギュスターヴ・モローもこの「貴婦人と一角獣」のタペストリーに影響を受け、幻想的で美しいユニコーンの絵を残していますし、謎が多いことも含め人を惹きつけてやまないタペストリーのようです。

ユニコーン農場

 時代をぐっと下がって現代では、孤高で気高く畏敬すべき対象という姿からかけはなれた、カラフルでポップでかわいらしいペットのようなユニコーンが登場してきます。さらには、人工的にユニコーンを作ろうとした人たちもいます。角を1本に改造された子牛は不思議なことに、その後他の牛より強く、しかし同時に他の牛のような攻撃性は持たないおとなしい雄牛へと育ったらしいです。

 こうなってくるとユニコーンの神秘性がだいぶ薄れてきますが、極めつけはJESSICA S. MARQUIS によるRAISING UNICORNS という本です。ユニコーン農場を作って夢とお金を手に入れるための楽しい経営指南書です。「NPOでいくなら老人ホームなどにユニコーンを連れていき角を触らせてあげる活動をして助成金を申請しなさい」とか「 Tシャツやジャムを売るときはカタログでは売らないように」とか結構具体的なアドバイスが・・・。ユニコーンの肉を売ろうとして大変な目にあった農場主など失敗談もたくさん載っていて、ユニコーン&とんでも本好きにはたまらない本です。

ユニコーンを追い求めて

 ぬいぐるみやゲームの中に出てくるユニコーン、人工のユニコーンで満足していたら平和なんですが、そんなものには目もくれず本物のユニコーンを探し求めている人たちもいます。 

 写真家ロバート・ヴァヴラもそんな一人です。ロバート・ヴァヴラは何冊かユニコーンの写真集を出していますが、その中でも特にUNICORNS I HAVE KNOWN はユニコーン本の白眉です。「太陽の山のユニコーン」「海のユニコーン」などに分類されたユニコーンの写真が、いつどこでどうやって撮ったのかという詳細な記述と共に収録されていて、そのあまりの神秘性にゾクッとします。

 ユニコーンに出会いたければまず数多の禁止事項を守らなければいけません。「香水・デオドラント・酒・タバコ・駆虫剤などを使用してはいけない」「ランチに死んだ動物から作られたものを持って行ってはいけない」「火をおこしてはいけない」「銃・ナイフ・縄などを持って行ってはいけない」など。こういった細心の注意を払って初めて一生忘れることのできない美しい生き物と出会う奇跡が起こるかもしれません。だけど観察者が少しでも疑念を抱けばユニコーンはたちどころに姿を消してしまうのです。

月の夜に降る雪の色

 ユニコーンには人間がどんなに追い求めても逃げていくはかなさがあります。幾千の苦難を乗り越えた後に一瞬の邂逅が可能であったとしても決して捕まえることはできない高貴で孤独な生き物。

 プロイスラーの物語とスピーリンの美しい絵による『ユニコーン伝説』では、三人の兄弟がユニコーンをつかまえようとします。兄二人があきらめる中、末っ子のハンスは火の中、水の中をくぐりぬけ、闇と氷の世界を越えた後についにユニコーンにめぐりあいます。「そのすがたは、うつくしくまばゆいばかりです。つのは象牙、ひづめは純金で、ひたいには星のような宝石がかがやいています。」ハンスは時のたつのも忘れ、髪の毛が真っ白になるまでその気高さにみとれました。もちろんユニコーンを捕まえることはできませんでした。それでもいいのです。だって「ユニコーンはまだ、森の中で生きているのですから。」


最後のユニコーン

 『エイリアン』や『ブレード・ランナー』で有名なリドリー・スコットの監督作品『レジェンド・光と闇の伝説』では、地下の城に住む闇の魔王(ヴァンパイア)が世界に生き残っている最後のユニコーンのつがいを殺そうとしています。というのも、この純粋で優しい生き物が地上から消えてしまえば地上から光が消え闇の世界がやってくるからなのです。

 Paul とKarin Johnsgard は Dragons and Unicorns : A Natural History の中で「もしこの優しい最後のユニコーンが消えてしまっても、ユニコーンは私たちや私たちの子供の夢に現れ続けるだろう。そして子供たちはこのような美しさを地上から追いやってしまった私たちを決して許さないだろう。」と述べています。

 私たちの前から、そして地上から消え去ろうとしているユニコーンは光であり、自然であり、純粋さであり、魔法であり、何か私たちがなすすべもなく失ってきた美しいものです。私たちはそれを失ってしまったから、そして同時に世界のどこかにはまだ残っていると信じているから、その最後のユニコーンを存在たらしめるため言葉を紡ぎ続けます。


「ねぇ、わたしだってユニコーンを空想の生き物だといつも思っていたわ。

生きてるユニコーンなんて見たことなかったもの。」

「じゃあ、おたがいに出会ったんだから」ユニコーンがいいました。

「きみがぼくの存在を信じるなら、ぼくも君の存在を信じるよ。そうしようじゃないか。」 

 『鏡の国のアリス』 ルイス・キャロル  

とらんぷ堂書店 はフランスを中心にヨーロッパやアメリカの洋書を扱うネット古書店です。   美術書やトランプ関係の本、装丁の美しい本など言語がわからなくても楽しめる本、そして言語がわかればもっと楽しくなりそう、と思わせてくれる本を扱っていきます。古本や洋書が身近な楽しみになるきっかけを作れたらとても嬉しいです。そして検索で出会いにくい、出会うまで知らなかったような本と私自身出会い、たくさん紹介していけたらと思っています。